また世の中の底辺を見た

波乱の一ヶ月だった。

特に最後の一日はひどかった。

 

ある男は軽い気持ちで将来を棒に振るところだった。

ある男は長年生きてて初めてトラゲディを見たような顔をして真夜中の交差点のど真ん中に立ち尽くしていた。

ある男は酒場のすみで暴漢にボコボコにされる知的障害者を傍目にグラスの氷を齧っていた。

 

上の世界というものは若いうちから天井を見上げることができる。何故かと言うと大人達は子供たちに上の世界を目指してほしいから良いものを見せたいし良いことを教えるからだ。昔っから、内閣総理大臣は日本の政治のトップだし、東京大学は国の最高学府だし、サッカー日本代表は国民を代表する戦士として皆を熱狂させてきた。そんなことは小学生でも知っている。

 

しかし下の世界はどうだろう。生きれば生きるほど、自分で自分の世界を広げていけばいくほど、どんどん下に掘り下がっていく。

 

僕は小学生の頃は約束が守れないタイプの子が理解できなかった。僕はチビの頃から相手の予定とか気持ちとか気にしてしまう少年だったのであんな奴らにだけはなりたくなかった。

中学生になってからは万引きや喫煙といった非行に走る不良少年たちのことを心の底から軽蔑していた。

高専に入ってから低学年の頃は、あっけらかんと留年していく奴とか、コミュニケーションが下手くそで理由もなく人を嫌って卑屈になって仕事さえ疎かにするような連中を見て、彼らがこの資本主義社会のリーダー的役割を果たせるわけがない、ヒエラルキーの底辺を構成してゆくんだなぁと思っていた。

 

甘かった。

金銭的に言えば、真冬の深夜に暖房もない寒空の下で最低賃金と変わらない報酬で夜通し倉庫の荷物の仕分けを行うことで生計を立てる人。都心の駅前でゴミを食らって生きるホームレスの人。

心身的に言えば、みだりに食べ物や物を粗末に扱うことをなんとも思わない人。相手が知的障害者だろうがなんだろうが自分が気に食わなかったら人目に晒すようにして暴力を振るう人。

 

貧しさは思っていたよりも底知れなかった。

世の中にてっぺんは一つしかないが底辺は無数に溢れている。そればっかりか、自分の成長と合わせて末広がりに見える部分が増えていく。正直こんな文字だけじゃ伝わらない息苦しさがある(人に体感してほしいとも思えないが)、今まで見えなかった分、そんなものばかりが目につくようになる。

 

僕は善人でも仏でもないので、将来あらゆる意味での貧しい人全員を救いたい!なんて事は思えない。ただそうやって新たに新たに下のフロアが見下ろせるようになるごとに、今の自分の立ち位置に感謝の気持ちがとめどなく溢れてくる。そして今後の生き方で"何か"あってしまわないように立ち振る舞いについて考えさせられる。

 

そんな7月の終わりと大人として初めての夏休みの幕開け。