最近,小学生が本当にかわいく思える話

 

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は昔,自分を取り立ててくれた先生たちに憧れて,
子供たちに社会科を教える先生になりたいと思っていた.
社会ってのは単に,今も昔も好きな科目なので.笑

 

まぁ歳をとるにつれて,
あの給料で教育委員会とPTAの板挟みにされるなんて
おれにゃ絶対無理だってなったけど.

 

の専攻科生活のうちで僕は複数のかてきょの他に,中学生の不登校支援CoderDojo高専プログラミング教室自治体のパソコン教室などを通して多くの子供たちと関わった.
実は実家には11学年下,小5の弟もいる.
彼らに気付かされる社会の仕組みは本当にたくさんある.

 

中高生ともなれば学力や教養の指導にウェイトが大きく振られるが,小学生の教育にそれはさほど重要ではない.自分が勉強が必要な未来を選ぶかどうかは後で考えればいいことだ.現に僕の身の回りにも,英語の代名詞変化はわからないけれど個人事業を起こし一国一城の主として家族を養っている大人もいる.

 

が個人的に小学生に学んでほしいことは大きく分けて2つで,
世の中のルールに必ずしも縛り付けられないこと」と
世の中のルールの意味を知ること」である.

 

廊下は走れ走れ.
滑って転んで怪我しちまえ.

ただし絶対に走ってない人とぶつかってはいけない.
壁か柱か走ってるもん同士でぶつかること.

 

授業は寝ていい.
宿題もやらなくていい.

ただし「宿題をやった」と嘘をついてはいけない.
「僕は宿題をやりません」とはっきり言おう.

 

校則を守らせることは重要ではないが,
なぜ多くのルールが世の中に存在するのかは
子供たちに知ってもらっておかねばならない.

 

たちは自由だ.

しかし,君たち全員が自由であるべきで,誰かの自由が他の誰かの自由を侵すようなことはあってはならない.もしそうなってしまいそうな時には,自分の行動を自分の自由を認められる範囲内に留める必要がある.

 

昨今,本当に多くの人が「個性」「自分らしさ」を主張する.

それはもちろん結構な事だが,社会生活においてはその「個性」から生まれた主張やら行動やらが他人のこれまた「個性」と頻繁に衝突する.そこで折り合いをつけるために生まれたのがルールであり決まり事であり約束なのだから,これを無視していい道理はない.世の中のルールや法律はだいたいこのようにしてできてきた.

 

それでもこの道理が気に入らないなら,地位と力を得て,世の中のルールを作り替えてもらうか,満足のいくルールの国に移り住んでもらう他はない.散々世の中のルールの世話になり,生かされておきながら「ルールなど,約束など知りません」という態度は許されない.

 

だ,なんせこれを大学生や社会人ですらわかってない人間が多い世の中で,小学生に理解させるなんてのは無理な話なので,僕たちは彼らにあとあと10数年後にはわかってもらえるように線路を引いていく必要がある.最低限これをやっておかないとその子が大人の手を離れた時に,社会で孤立してしまうかもしれない.ルールからの逸脱が著しく大きかった場合には刑務所,少年院送致にされてしまうかもしれない.

 

ちなみに,刑務所などのそういった施設で収容者1人あたりにかかる税金は年間300万円程度だそうだ.そして,一般の社会人の納税額は消費税なども含めると100万円程度であるとも言われている.単純計算で1人の人間を服役囚に育て上げるか納税者に育て上げるかで,この国にとって年間400万円分の違いが出てくるということだ.まあこれは大袈裟な話ではあるにしても,教育の問題は教育者に関わらず全ての人にとって他人事ではないことがわかってもらえるはずだ.

 

々脱線した.

それでいて小学生なんてのは,より多くの「気持ち」と出会ったもん勝ちだろう.

 

「成功して自信がついた」
「この方法ではダメだった」
「こう言われて悲しい」
「こうしたら怒られた」
「人に好きと言われて嬉しかった」

 

この時代の経験とか,自信や不安が人生に大きく影響する.
しかし,世の中のタイトすぎるルールがこういった子供たちの体験を妨げるケースも大いにある.

 

小学生時代というのはその子の人生においてマジのマジで大事な時期なので,
小学校の教員になりたくて勉強してる人には
勉強以外に大切なことがなんなのか,
きちんと自分の中で整理して,現場にあたって欲しいと思う.

 

僕が教育に関わっている中で,他の教育に関わる大人とも出会う.

子供一人一人を見ている素晴らしい教育者であるような方もいれば,もはや教え子をモノとしてしかみてないゴミクズのような年寄りも少なくない.去年残酷な動画が散々ニュースやワイドショーで流れた兵庫の小学校の事件なんかは論外.あんなのはほんま無期懲役とかでいい.

 

談.最近,本を読んで教育の奥の深さを知らしめられた学びがあった.

いわゆる「境界知能」の人々の存在である.境界知能とは,かつての分類では知的障害と診断されていた知能レベルでありながら,分類の更新によって定義上は知的障害とは呼ばれなくなったレベルの知能のことだ.度合いは無論ケースによるが,教育において「健常者」である彼らに「当たり前」のことが「当たり前」として伝わらない.そんな教育現場の大きな課題として立ちはだかる存在の根深ーい話を仕入れられたのでその話もまた後日.

 

等教育は本当に重要だ.

その子を将来輝かせるか「生きづらい」と打ちひしがらせるか,
決めつけるわけではないがその土台作りはほとんどここにかかっている.

 

この認識によって今自分が関わっている子供たち一人一人が
たくさんの未来のまだ小さな種だと思うと,
本当にかわいく,愛おしく見えてくる.
自分が教職者になることはなくとも,
これからもこの意識を持って教育分野に関わっていきたい.

 

世の中のルールに縛り付けてはいけない.
世の中のルールから目を逸らしてもいけない.
このジレンマの克服が大人が学ぶべき初等教育の真髄だと思う.